医師になって本当に大切なことは部活で学んだ。

医師になって本当に大切なことは部活で学んだ。

医師として17年目に突入し、さすがにこれまでの医師としての色んな出来事を振り返ると、つくづく「部活」での人との交流や上下関係、色んな経験が生きてきているなと思います。医師になるため、医師として仕事をする上での知識のことではなく、もっと深いもの。あの部活がなければ、今の自分も無いと思えるくらい、大きな財産になっています。タイトルにしたように、「医師になって本当に大切なこと」は、「患者さんとの人間としての関わり方」であり、「医療スタッフとの信頼関係構築」であり、「自分をアクティブに導くこと」と考えていて、それらは「部活」の中で培われたものが非常に大きく感じています。

最近、娘が中学生になり、学校で部活に入りました。部活に思い入れの強い自分からすると、どんな部活に入り、どういう活動をしていくのか、勝手に想像してワクワクし、子供以上に楽しくなっていました。本当は自分と同じ吹奏楽部に入って欲しかったのですが、忌々しいコロナのせいで吹奏楽部は活動休止になってしまい、違うクラブに入部しました。娘が自分で決めたことなので、それはそれで嬉しく思い、応援しています。どんどん成長していく娘を見ていると、当時の自分を見ているようで感慨深いものがあります。

部活は医師に限らず、どんな職業についたとしても、そこで得た経験は教科書には無く、2回と経験することのない貴重なもので、人格形成に影響するほどの大きな存在になると思っています。また、部活の種類はなんであれ、そこには人間関係、上下関係、モチベーションのコントロールは付きまとい、同じように効果するものと思います。

参考までに、今日は私が中学生から大学生まで過ごした部活のお話を少し書いてみようと思います。

中学〜高校生時代の部活:ブラスバンド部

中学生のときは学校が遠くて、家を出てから学校に着くまで1時間半近くかかるような状態でした。最初は遠方だし、部活に入るという考えはあまり無く、入部も義務ではなかったので、しばらくは帰宅部で過ごしていました。中学1年の夏過ぎだったでしょうか?クラスで仲のよい友達も出来、その子がブラスバンド部でトロンボーンを吹いていたのがきっかけで部活に興味を持ち、「人見知りがち」であった自分を変えたいという思いも相まって、思い切ってブラスバンド部への入部を親に相談しました。

だいたい欲しいものをねだっても、スムーズに買ってもらえることは無かったので最初は反対されるかなとおもったのですが、その時にかぎっては父親が速攻で楽器を買いに連れて行ってくれました。とくに両親が音楽をやっていたわけでもない家庭です。突然息子が「楽器をやりたい」と言ってきた状況で、すぐに楽器屋に行き、欲しい楽器を選ばせてくれたこと、今でも感謝しています。

楽器屋でドキドキしながら説明をうけ、触ったこともない、ただ単に憧れでやってみたいと言っただけの「アルトサックス」、自分の楽器を手に入れてとても嬉しくて、すぐにそれを持ってブラスバンド部に入部しました。

音楽経験は一切ありませんでした。ピアノも習っていなければ、音符の読み方すら知りません。当然両親もだれも教えられません。当時はyoutubeなどもなく、一緒に買ってもらった教則本を見ながら、見よう見まねで練習し、ひどい音しか出ないことにガッカリして、恥ずかしくなりました。

とくにアルトサックスを初心者が練習するのは、最初の音が安定して出せるまでの「面白く無い」ことたるや、半端ないです。でも高価な自分の楽器を親に買わせてしまった以上、「やっぱりやめる」は言えるはずがなく、地道に練習を続け、音符が読めるようになり、音が出せるようになり、 徐々に部活で合奏に参加できるようになり。

高校野球の強い母校だったので、野球部の応援の演奏で甲子園で吹いたり、秋の文化祭ではビッグバンドの名曲を合奏したり、気づけば中学・高校の6年間はどっぷりブラスバンド部に浸りきっていました。いつのまにか譜面は読めるようになり、思った音が出せるようになり、鼻歌程度でメロディラインをなぞるくらいは簡単になりました。T-スクエアの本田雅人に魅了され、とにかくCDを聴き、耳コピーをすることを繰り返していました。フラジオレットもなんとか出せるようになり、音質も安定し、決して上手ではないですが、趣味のレベルとしては自己満足できるくらいにはなりました。おかげで医学部の最後にはライブハウスでPE’Zのカバーバンドで演奏したり、仕事が初めてからも、病院の忘年会バンドにいれてもらって演奏したりする機会にも恵まれ、サックスやっててよかったと心底思えるようになりました。

友達もブラスバンド部が中心で、同じ体育館でだいたい毎日練習していたバスケ部のメンバーとも仲良くなり、みんなで部活終わりは一緒に帰ったりしていました。合奏の休憩にバスケ部に遊びにいってたりもしたなぁ。。書きながら思い出してくると、非常に懐かしいです。

医学部を実際に意識しはじめたのは高校2年くらい。それまでは日々の定期テストの対策に勉強しながら、合間に部活の練習、家に帰れば大音量でTースクエアの曲を流しながら耳コピーして練習していました。

先生がいて、友達がいて、後輩がいて、単なる受験勉強とは違う人間関係の学びがそこにはたくさんあり、何かに向かって努力することの楽しみを知ったように思います。

大学時代の部活:ギターマンドリン部

受験の山をかろうじて超えることに成功し、無事希望の大学に入学。本当は軽音楽部に入るつもりでした。ロックが好きで、レッチリが好きで、入学祝いにエレキギターを買ってもらい、意気揚々と軽音楽部の部室に行ったのですが、「医学部お断り」と言われて追い返されてしまいました。カリキュラムが他学部と異なるとの理由からバンドを組めないという理由でした。

なので、医学部には医学部軽音楽部というものがあります。さっそく見学に行ってみたのですが、自分がやりたい音楽とは少し違ったバンドが練習していました。残念ながら決して上手とはいえず、Jーポップのカバーだったので、方向性が違うと感じました。ガッカリして途方にくれていたとき、隣の部室で練習しているクラシックギターの先輩の姿が目に入りました。今でも覚えていますが「アラビア風奇想曲:タレガ」を演奏されており、その際立つ技術力と、演奏スタイルのかっこよさに一目惚れし、自分の思っていたのとは全く異なるクラブ、「ギターマンドリン部」に入部してしまいました。

ギターマンドリン部なんて、聞いたこともないクラブでしたが、先輩たちの強い個性に圧倒され、ここでも「自分に無いもの」が得られる気がしたので、気づけばいつの間にか入部していました。エレキギターは無駄になりましたが、クラシックギターに乗り換え、大学6年間様々な経験をさせてもらいました。

奏者としての色んな経験は然り、途中からは指揮者に任命していただき、学生指揮の新しい世界・経験をさせていただきました。他大学とのマンドリン連盟なる団体にも所属しており、大合奏の指揮もさせていただきました。この時の貴重な経験は今の仕事の上でも大いに役立っています。最後の演奏会の感動は今も忘れられません。

演奏以外でもギターマンドリン部では様々な経験を与えてもらいました。文化系クラブなのに、とにかく部員一同「飲酒好き」な部活で、ほぼ毎週(週2−3回のときも)どこかに飲みに行っていました。夜中まで部室に残り、そのまま朝を迎えることもしばしば。先輩に奢ってもらったり、居酒屋で違う大学に酔っ払いながら絡んだり、パチンコで勝ったお金で後輩を飲みに連れて行って奢ったり。文字にするとロクでも無い学生生活ですが、同じ時間を過ごした人には分かるであろう「人と人との繋がり」がそこにはありました。友情・信頼・愛情・裏切り・嫉妬・怒り・悲しみ・泥酔泥酔・泥酔。一言、楽しかったです。音楽を通じて、チーム作りの難しさ人に教えること・教わることの繊細さを学びました。先輩後輩にまみれることで、上下関係の大切さと、それを微妙にコントロールしながら崩していくときのさらなる深まり常に自分を向上させていく難しさも日々実感しながらあっという間の6年間でした。

みなさんも青春時代の思い出があると思います。部活に入らないとできないわけでは無いですが、個人的には「部活」が自分の人生に大きな影響を与えたものであることに違いありません。部活を通して出会った人たちに、今も感謝しています。

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