個人的には足の難治性潰瘍をなるべく温存して治癒させることを目標としています。しかし中には来院した時点で救済できないほど壊死が進行していたり、温存できるように色々と治療しているうちに感染を生じたり、さらなる壊死が進行したり、全身状態が悪化したり、そのまま温存治療を継続すると危険な状態になることもあります。
「下肢救済治療」はかなりの割合で、危険と隣り合わせの治療になります。下肢救済に携わる上での心構えと責任についてのお話です。
下肢救済のために全力で治療する
まずもって、患者さんの下肢をどうやって治癒させるかを全力で考えます。血流の評価・治療、感染の評価・治療、壊死組織の除去について、様々な角度から検査や評価を行い、できる限りの治療を考えます。
一番大切なのは「血流」です。血流がなければ、抗生剤も効きません。血流がなければ組織は壊死します。いくら感染の治療や壊死組織除去を行っても、血流が不十分であれば断端に感染を生じたり、壊死がさらに広がったり、さらに被害が拡大します。
まず血流をエコーやSPP(皮膚灌流圧)、CT-Angiographyなどで評価し、血行再建の余地があれば循環器内科に依頼します。正直ここは形成外科医は無力で、循環器内科にお任せです。下肢救済は形成外科医だけでは成り立ちません。
感染は抗生剤治療と壊死組織除去で沈静化させます。感染が制御できない場合、下肢を残せる範囲はどんどん減ってしまいます。血流との兼ね合いもありますが、なんとか感染の「火消し」を行います。
血流についても感染についても落ち着いた状態になれば、創部を塞ぐための手術を行います。歩行を守る最終ラインは「中足骨骨幹部」です。なんとかそれよりも遠位で傷を治せるように手術プランを検討します。
危険なラインを見極める
治療が思うように進まない場合もあります。最初からかなり重症な場合もあります。あまりに下肢救済にこだわりすぎたり、タイミングを間違えてしまうと、感染や壊死が制御できない「一線」を超えてしまうことになってしまいます。
採血の結果であったり、全身状態であったり、傷の状態悪化の速度であったり、熱だったり、創部の匂いだったり。あらゆる情報から危険なラインを察知しなければ、気がつくと「一線」を超えてしまい、一気に患者さんの全身状態が危うくなってしまいます。
教科書や論文をいくら読んでも、臨床での「勘」は養えません。理論的に、エビデンスに則って治療を行なっていても、「予想外」の悪化は容赦無く襲ってきます。
下肢救済に固執しすぎず、危険なラインを見極めて、形勢不利と感じた時には「下肢切断」も選択肢に入れることが出来なければ責任のある治療は出来ないと思います。下肢救済を目指すには「下肢切断」が確実に、安全に出来る技術と知識が必ず必要です。すなわち、温存は頑張るが、切断は「他科に」というのは、個人的にはあり得ないと考えます。
切ってしまえばそれまでだが、命あっての下肢救済
下肢救済を目指す形成外科医は、他の誰よりも下肢切断は行いたくありません。でも、命あってこその治療であり、苦渋の選択で「下肢切断」が必要となる場合もあります。
危険なラインすれすれで、下肢が温存出来て、無事創部が治癒に至り、歩行リハビリを経て患者さんが退院していく時には、大変やりがいを感じます。やむを得なく切断に至った患者さんについては、自分の無力さを感じます。
下肢切断は創部が治癒したらゴールというわけではなく、そこからいかに移動機能を温存させうるかをさらに追求していきます。義足をつけることが出来そうであれば、どのタイミングで義足を作るのか、リハビリはどういうスケジュールで行うのか、回復期リハビリテーションへの転院も含めて治療プランを立て直します。
義足がつけれないような体力のない高齢者でも、残ったもう一方の足で車椅子に移動させるときのリハビリの指導や、車椅子を取り入れた生活スタイルの導入について、「足を切った者の責任」として考える必要があると思います。
幸い、今の病院では循環器医師、血管外科医師、リハビリスタッフや義肢装具士、透析室スタッフに大変恵まれており、下肢壊疽の患者さんについてあらゆる角度でfollow upができる体制は取れていると思っています。「下肢救済」としっかり向き合う治療が出来ることは、形成外科医としてはやりがいを感じることが出来て幸せです。